朱雀大路をたどってみれば!東寺、羅城門と西寺

かつて京都が平安京の時代であったころ、都の中央を南北に伸びている大路のことを「朱雀大路(すざくおおじ)」と呼んでいました。本日は朱雀門跡から羅城門跡、西寺跡まで、のんびりと京都まちなか散歩してみます。

散歩の最初の目的地は「東寺(とうじ)」です。真言宗総本山の寺院で、正式には「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」といいます。こちらは、弘法大師「空海」が真言密教の根本道場としました。

京都まちなか散歩だけでなく、新幹線の車窓から何度も見たこの「東寺」の五重塔。その車窓から見える大宮通なのですが、平安京のメイン大路である「朱雀大路」は千本通に通じる、この大宮通だとかつて錯覚していました。

しかし、実際に散歩してみると「東寺」の東に位置しており「あれっ?」と間違いに気が付いた次第です。「京都時代MAP 平安京編(新創社編 光村推古書院)」でも確認をしましたところ、当時は大内裏朱雀門から羅生門に向けて約4キロ、道幅にしておよそ84mもの巨大な通りが存在していたのだとか。

残念ながら現在ではその面影はありませんが、千本通がその位置に相当します。しかしながら、千本通は三条通からまっすぐ南へと細く、細くなり見失ってしまいそうなため、この千本三条で錯覚をしてしまっていたようです。

現在の千本通は、三条から四条にかけて斜めに後院通となり、その後大宮通につながります。そして、そのまままっすぐ「東寺」の横を通り、九条通へと通じていきます。歴史を知る度、叶わない夢ではありますが、当時の京都で「朱雀大路」を散歩してみたかったなあ、という気持ちに包まれますね。

さて、散歩を続けましょう。本日の散歩のゴール地点は、「東寺」との相対の位置にある「西寺址」です。その中央には細く千本通が通じ、「羅城門址」があるなど、間違いなくこの通りが「朱雀大路」であったことを証明しています。

想いを馳せながら歩いていくと、架空ではない現実的な京(みやこ)が壮大なイメージとして頭に浮かび上がって来るようです。

ここでふと、思い出したことをふたつ。

私が暮らす京都のまちは京都盆地でもあり、起伏のある扇状地です。そのため、市の北と南ではかなりの標高差があるのですが、五重塔はおおよそ55mで、その先端にある宝珠でしょうか。この宝珠をずっと北に延長していくと、千本北大路とほぼ同じ高さになるとのことです。驚きますが、北に向かって自転車を走らせるのはかなりしんどいですから、間違いないと思っています。

もう一つは「YMO」の記憶です。彼らが世界を席巻した当時、私はまだ中学生でした。同世代の皆さまも、彼らのパフォーマンスに熱狂されたのではないでしょうか。そんな「YMO」は過去に、なんとこの東寺を舞台としてコンサートを行ったことがあるのです。

他のアーティストも参加していましたが、やはり「YMO」の存在感は圧巻でした。その熱気を昨日のことのように覚えているのですが、調べてみると京都でのコンサートが開催されたのは2007年とのこと。いつの間にか10年もの時間が経っていたのだなあ、としみじみと感じてしまいました。

さて、散歩の足は「東寺」から九条通を西に向かい「羅城門址」へとたどり着きます。この地に平安京の入り口としての壮大な門があったと思うと不可思議な気分になります。京都駅にはこの羅城門の模型がありますので、電車で京都まちなか散歩にいらっしゃった方は、是非覗いてみて下さい。その大きさに圧倒されるでしょう。

さらに西へ散歩に行きますと「西寺址」につきました。この日は天気にも恵まれ、遥か向うに比叡山を臨むことができます。この地は現在、小学校の敷地と児童公園として使用されており、小さな子が無邪気に遊ぶ姿が目に眩しい地域となりました。

こちらへ散歩に訪れた方は、公園の真ん中あたりにある土塁へ注目してみて下さい。この土塁は、かつて「西寺」の講堂があった場所と言われています。「西寺」は再建されることなく地と一体化してしまいましたが、幾度に渡る発掘によってその全体像が確認できるようになってきたとのことです。

京都のまちを語る上で欠かせない、大変重要な場所だと思いますので、是非いつの日か再建していただければと強く願いつつ、本日の京都まちなか散歩は終了といたします。

参考URL
http://www.toji.or.jp

西寺址