たけいさおの神!建勲神社
以前のまちなかぶらりんでも少し触れましたが、京都の中でもまちなか散歩を通じて懐かしい思い出がある場所、それが船岡山です。前回のまちなかぶらりんでは少し眺めただけの「建勲神社(けんくんじんじゃ)」でしたが、その際は散歩へと足を運んではおりませんでした。
本日の京都まちなか散歩はこちらにお参りし、じっくりと向き合いたいと思います。
「建勲神社」は、京都市北区にあり「織田信長」が御祭神です。京都のまちの人たちは「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」と呼ぶことが多いですが、正式には「たけいさおじんじゃ」となります。
戦国時代の京都、本能寺で「信長」は命を絶ちました。しかし、その功績は日本全国誰もが知るところです。すぐさま「秀吉」は仇となる「光秀」を討ちました。そして、船岡山近くの大徳寺にて7日間に及ぶ大法要を行い、御霊(みたま)に敬意を表し冥福を祈るべく、船岡山を「信長」の霊地にしようと正親町天皇にお願いしたとのことです。
「秀吉」の思いとしては船岡山へすぐにでも菩提となる寺院を建てたいという気持ちだったとのことですが、当時は戦乱の世であったからでしょうか。建立は志半ばで終わり、船岡山全体が霊地となりました。当時は「信長」を偲び、崇敬の意と伴に訪れた方も多かったのではと想像します。
明治2年、明治天皇の御下命により「健勲神社」が創建されました。京都だけでなく誰もが「信長」へ敬意を抱いていたことが、散歩をしていて良く分かります。
平安京の時代、四神相応之地として北には玄武が配されるのですが、船岡山はこの玄武の地に相当します。船岡山を霊地(みたまの地)にしようとした秀吉の意図には、「御土居」を始め京都のまちを大きく変革した手腕からも、風水などさまざまな知識を駆使したのではと考えられます。
本殿、神門、拝殿……「建勲神社」をゆっくりと散歩していると、このような歴史が頭を巡り、時を忘れたような気分になります。京都まちなか散歩をしておりますと、散歩先の中には期間限定の公開や拝観料が必要な場所も多いですが、年中無休、拝観自由としている「建勲神社」だからこそ、この大らかな雰囲気、ひょっとすると信長の気風が現出しているのかもしれません。
のんびりと京都まちなか散歩にぴったりですが、「国家安泰」「難局突破」「大願成就」といった少し猛々しい願いを叶えるようなご利益があると言われています。
秘めたる思いを抱えている方は、こちらへ京都まちなか散歩してみてはいかがでしょうか?
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか」
これは能の演目のひとつ「敦盛」の一節で、よく知られています。人間の50年は天の時間と比べると遥かに儚いもの、と言った意味であり、「信長」が好んでいたことでも有名です。
京都まちなか散歩を通じて「信長」の功勲に触れてみたい方は、上洛したとされる10月19日に行われる「船岡大祭」へ赴くのもおすすめです。この祭りではこの敦盛が奉納される様子を拝観できます。
唯一無二のリーダーであった「信長」は、新しい時代に目を向け、既存の思想や価値、さらには宗教や権威などは全く意識していなかったでしょう、しかし、無常(諸行無常)という日本人固有の感性は心に秘めていたのだと改めて感じる、京都まちなか散歩になりました。
参考URL
https://kenkun-jinja.org/index.html