分派?脱退か?月真院
冬の気配を感じさせる、そんな気候が続いているこの季節は、汗知らずで京都散歩を楽しめる絶好のシーズンです。本日は、京都市東山区にある「月真院」へと京都まちなか散歩へ出かけてみます。
散歩のスタートは「八坂神社」から、「南楼門」を出て「高台寺」を目指し石畳の道をぶらぶら行きますと途中、臨済宗建仁寺派「高台寺」の塔頭「月真院」があります。
京都観光のプランに取り入れる方も多い、秀吉とねねの寺として有名な「高台寺」に比べると素朴な趣が漂う寺院です。
「高台寺」について少しご紹介しますと、秋の特別拝観として、日没までのライトアップが行われています。紅葉の中でひっそりと建つ「高台寺」が、普段とは違う特別な雰囲気で京都へ訪れた観光客を迎えてくれるため、季節が合えば是非京都まちなか散歩へ訪れてみるのも一興です。
この「高台寺」は、秀吉を慕うねねが京都へ開いた寺院です。戦国時代の女性が集う場所であったこともあり、京都の中でも特に女性客が多い観光地となっています。京都観光がてら座禅や茶道の体験ができたり、つつましさがまた良い「掌美術館」があったりと、見どころの多い散歩先となるでしょう。
さて、塔頭の「月真院」は、新選組ゆかりの寺院で、幕末や新選組に関心のある方たちには注目のスポットの一つです。江戸で「近藤勇」に誘われ、新選組に加入するため後から京都へやってきた「伊東甲子太郎」は、水戸学を学び尊王思想に傾倒した知識人であり、新選組では参謀という職に就きました。
実情は、近藤の知恵袋という位置だったのではないかと思われます。新選組局長としての権威を高めたい「土方歳三」の思惑とは裏腹に、日に日に天下国家を論ずる近藤を見て面白くはなかったでしょう。土方は、そんな伊東の存在が疎ましく感ぜられたのだと推察されます。
その後、伊東は孝明天皇陵を警護する「御陵衛士」という役職を朝廷から拝命し、ここ「月真院」を屯所としました。しかしながら近藤や土方は、分派ではなく局を脱したと理解したのでしょう、その先は油小路の変につながっていきます。
伊東の尊王思想は薩摩との交流の中で薩長の倒幕思想に徐々に近づいていたとも考えられ、近藤、土方としては伊東斬るべしとの結論に至ったと考えられます。
油小路の変の後、伊東の仲間に近藤が銃で撃たれ、鳥羽伏見の戦いでは十分な指揮を執ることができないまま京都を離れるなどの経緯があり、新選組は徐々に衰退していくことになります。
幕末、京都が激動の中にあった時代に思いを巡らせながら、さらに散歩の足を進めて行きましょう。「月真院」から少し散歩の足を延ばすと、「霊山神社」へたどり着きます。ここでは、時代を大きく変革させた「坂本龍馬」と「中岡慎太郎」のお墓に手を合わせることができます。お墓だけでなく、立派な二人の銅像も建てられています。
また長州藩の墓地には、「木戸孝允」や「高杉晋作」、「久坂玄瑞」と言った志士たちがここに眠っています。
何度か訪れている散歩先ですが、いつ来てもこのような偉人の墓前に立つと、その威厳の中で緊張感に包まれ、自然と頭を垂れます。
幕末維新と言った改革を推し進めた偉人たちの眠る「霊山神社」、日本人なら是非一度、訪ねておきたい散歩道と言えるでしょう。
参考URL
https://ja.kyoto.travel/search-keyword.php?keywords=%E6%9C%88%E7%9C%9F%E9%99%A2