もともと今宮さんの氏子でしたので、子どもの頃から今宮祭の行列を楽しみにしていました。今も追っかけをしています。きらびやかな神輿やのっそりと動く牛車、お稚児姿の子どもたちが母親に手を引かれて行く様子、西陣のまちならではの趣きがあります。懐古主義と言えばそれまでですが、子どもの頃は獅子舞によく噛まれ泣きました。またそばを通る牛車が怖く、腰が引けました。祭の日は、ちらし寿司(確かちらし寿司です。)を食べ、夜は町内の子どもたちと花火を楽しんだことを記憶しています。
しかしながら、やすらい祭は今に至るまで見たことがなくずっと気になっておりました。今は天神さんの氏子ではありますが、数十年も前にお宮参りでもお世話になった今宮さんのやすらい祭を拝見しに行ってまいりました。
春に蔓延する疫病を鎮める、疫病退散の祭で「はなしずめ」という言葉を聞いたことがあります。平安時代の祭りや神社は、疫病と怨霊がキーワードで、これを鎮めることが社会的な課題でした。
桜や椿で飾られた大きな花傘の下に入ると1年間健康に過ごせるとのことで、みなさん競って入っておられました。もう一つ、この祭は春の祭のさきがけで、この日が晴れれば、その年の京都の祭はすべて晴れるとの伝承を知りました。
踊っているのは氏子の中高生だと思いますが、赤熊(しゃぐま)と呼ばれる赤毛・黒毛を付け、鉦や太鼓を打ち鳴らしながらきびきびとした躍動感で踊っていました。
東門前参道には向い合せに二軒のあぶり餅のお店(一和、かざりや)がありますが、この参道でも躍動感のある踊りを披露していました。
この赤毛・黒毛、衣装、飛び跳ねる踊り、これは私の個人的な感触ですが、大陸の影響を受けていたのではと感じました。好奇心を持って調べてみようと思います。