京都にはちょっと変わった風習の残る神社がいくつもあります。神社仏閣の数だけそれぞれの考え方がありますから当然なのですが、こういった特徴というのは面白いですよね。
本日は、そんな他との違いが感じられる京都市北区の「わら天神」へと散歩に向かってみることとします。こちらは、京都の人たちの多くが「わら天神」と呼んでいますが、正式には「敷地神社」と言います。
京都まちなか散歩のルートとしては、西大路通の金閣寺道に入る手前を、少し下がったところです。安産の神として有名なため、参拝されている方も安産祈願だとお見受けするのですが、ご夫婦で来られている方も多く見かけました。お腹の赤ちゃんと一緒に、のんびり散歩を楽しみながら神さんに手を合わせる、そんなことができるのも京都の良さですね。
子は宝とはいいますが、子どもは本当に可愛いものです。近年では、子どもの声がうるさいとの苦情で保育園が建てられない……そんなニュースも聞かれます。ですが、少子化が進む今、子どもを大切にせず、大人が自分の暮らしやすさを求めたところで何になるのでしょうか? 老いた先まで見据えれば、そのようなことは言えないと思うのですが、残念な大人が多く、若い方が不憫でなりません。
さて、お参りを済ませると、御守などの授与所へ散歩の足が辿り着きました。こちらでの珍しい風習は、この御守にあります。安産御守の中「稲藁」が入っているのですが、わらに節があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるという珍しい信仰が残っています。妊娠されていて、子どもの性別が気になる方は、京都まちなか散歩のついでに試されてみてはいかがでしょうか?
この光景を見ていると、何故御守に藁を入れたのだろう? そう考えずにはいられません。これは私の主観ですが、稲藁と言えば稲、つまりはお米が連想されます。古代から現在にいたるまで、お米は私たちの食生活、ひいては生活の基盤としてとても大切なものですし、かつての時代では経済的な基盤でもありましたから、藁へ敬意を抱いていたのではないでしょうか。
下世話な言い方になりますが、「おまんまが食べられる」ということはしっかり稼いで家族を養う大切さを指しています。生まれてくる子どもに対する親の責任を、神さんに手を合わす時、きつく自覚する思いです。
日本人にとってのお米は、社会の基本・基底、また私たちのこころの拠り所の一つと言えるでしょう。私はやはり、パンや麺類ではなくごはん(お米)が好きです、もちろん米からできる芳香な汁も含め、生活に欠かせないものになっていると、再認識いたしました。
それでは、散歩を続けましょう。安産祈願で京都まちなか散歩へ訪れる方の多い「わら天神」ですが、摂社の「六勝稲荷神社」は、合格の神として知られており、受験や試験合格祈願する若者たちの姿が見受けられます。本日の京都まちなか散歩は受験シーズンともかぶったこともあり、いつもより多くの人出があったように感じました。
京都まちなか散歩の最後には、名物である「うぶ餅」をお土産にされるのがおすすめです。「わら天神」向かいの京菓子司「笹谷守栄」さんで買い求めることのできる「うぶ餅」は、その名の通り赤ちゃんのような柔らかさが魅力の和菓子となっています。
参考URL
http://sasayamorie.com/photo/album/12003