梅と紅葉で有名な、学問の神様としても知られる「北野天満宮」
特に紅葉は、京都の中でも有数のスポットとなっています。
350本の紅葉を有している「もみじ苑」は、10月下旬~12月上旬にかけて公開され、11月下旬以降は美しいライトアップを鑑賞することが出来ます。「もみじ苑」には700円の入苑料がかかりますが、利休居士が考案したとされる茶菓子もついて、風流な散歩を楽しめます。5月には、目に鮮やかな京都の「青もみじ」も楽しむことができます。
そんな「北野天満宮」ですが、本日はその紅葉よりも一足早く、史跡「御土居」を目指してぶらり散歩へ行ってみました。
このまちの人たちは、親しみを込めて「天神さん」と呼びますが、ここには配流となった「菅原道真公」の怨霊と鎮魂が見受けられます。道真公は、藤原時平の命で太宰府に左遷され、この地で没しました。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」
と詠んだ通り、京都に馳せた思いは想像を超えた強いものだったのでしょう。
その後の京都では、天変地異が勃発し、疫病が流行るなど、街が疲弊の一途をたどることになります。「これは道真公の怨霊に違いない」そう考えられた結果、その魂を鎮めるべくこの北野天満宮へ神として祭祀することになったとのです。
そんな過去があったことを忘れるほど、今ではすっかり美しい京都まちなか散歩道。これもお参りになる方や散歩に来られる方たちが天神さんを敬い、手を合わせたおかげと言えるでしょう。
さて、その後天下統一を果たした豊臣秀吉は、「天皇がおはします京都」に終始密接に関わり、京都まちなか散歩では語らずにいられない人物となっています。ちょうどこの辺りでは、京のまちを「守る」ための都市政策が行われました。
秀吉が何よりも恐れたのが「外敵の侵入」そして「鴨川の氾濫」です。敵からも災害からもまちを守るため作られたのが、「御土居」という土塁なのです。この位置は、洛中洛外の境にもあたります。
この「御土居」は京都のまちの真ん中を、くるりと取り囲んでいました。そしてここ天神さんの西側に流れる紙屋川沿いに築かれていたため、今もこうしてその姿を垣間見ることできます。
天神さんへの散歩では、お参りや、梅やもみじを楽しんで終わり、という方も多いかと思いますが、是非一度、京都を守った「御土居」へも視線を向けてみて下さい。
頑強な土の盛り上がりを目にし、それが都をどっしり囲んでいた姿を想像すると、京都の地において、秀吉の権力がいかに大きかったのかが、今なお胸に伝わってきます。
そうそう、散歩の途中で、ひとつ「あれっ?」と感じたことがありました。
それが、天神さん本殿前の鈴です。
以前ぶらりと散歩に訪れた際は、鈴は一つだけで、受験生や親御さんたちが長い長い行列を作り、自分たちの番をじっと待っているのが風物詩でもありました。
しかし、今回久々に訪れてみると、そこには複数の鈴があります。一つだけの鈴をひたすら待つのは気の毒だなあと思っておりましたので、この配慮はありがたいものですね。
これでスムーズにお祈りができ、受験勉強も捗るのではと感じております。
並ばれている皆さまに天神さんのご利益がありますように、そう願いながら、次の京都まちなか散歩に思いを馳せていました。
参考
http://www.kitanotenmangu.or.jp/