本日の京都まちなか散歩、その行き先を考えあぐねておりましたら、不意に頭へ浮かんだのが京都市中京区にあります「行願寺(ぎょうがんじ)」でした。近くを散歩する機会は多いのですが、きちんと訪れた記憶がありませんので、今回お参りさせていただきました。
散歩のスタートは、丸太町通より一筋下がった竹屋町通です。こちらを東に向かってぶらり行きますと寺町通に突き当たります。その正面に位置するのが「革堂(こうどう)、霊麀山(れいゆうざん)行願寺」と号する天台宗の寺院です。
こちらは、西国三十三所観音霊場第十九番札所でもありますので、霊場巡りにて京都まちなか散歩されている方も多いとのことです。数ある京都の散歩先でも、比較的静かな寺院ですので、心静かに足を運んでみるのも趣き深いです。
この寺を開山した行円上人は、鹿皮の衣を常に身につけていたため「皮聖」と言われ、「革堂」の名もこれに由来するとのことです。
何故鹿の皮を?と頭を傾げたくなりますが、その答えは上人の過去にあります。ある日上人は山中で鹿を射止めたのですが、その腹の中には生きた小鹿がおりました。母の命を奪ってしまったことを深く後悔した上人は、母鹿の皮を衣にして、憐れみながら念仏を唱和したと伝えられています。
この「行願寺」にはもう一つ、京都に残る伝説の一つとして知られる、革堂の幽霊絵馬があります。こちらは宝物殿へ保管され、毎年8月20日過ぎに公開されています。
幽霊絵馬の伝説はこのような話です。かつて、革堂近くの質屋におふみという子守娘がいたのですが、子どもを連れていつも遊んでいるうちに、御詠歌を覚え子守歌のごとく歌って聞かせていました。
しかし、熱心な法華信者であった質屋の主人はこれを快く思わず、怒りに任せておふみを殴って死なせてしまいます。主人は、おふみが行方知れずになったと両親に伝えましたが、父親は合点がいかず、革堂の観音様に無事をお祈りしました。
するとおふみが現れ、主人に殺されたことを告げ、母親が持たせてくれた手鏡とともに弔ってほしいと頼んだため、父親はおふみの亡霊を絵馬に描かせ、手鏡を添えて革堂に奉納したとのことです。
よく通る寺町通のまちかどですが、このような悲しい話があったとは今日まで存じませんでした。
ひょっとしてと頭を巡らすと、「行願寺」へお参りや京都まちなか散歩へ訪れる方たちへ大切なことを教えるために、おふみは幽霊となって現れたのかもしれません。
どこか切ない気持ちを残しつつ、本日の京都まちなか散歩は終了とします。
参考URL
https://ja.kyoto.travel/search-keyword.php?keywords=%E9%9D%A9%E5%A0%82