京都まちなか散歩は目的を決めず、ぶらりとまちの風景や風情、雰囲気を楽しむという方法もあります。少しごぶさたしているまちを歩いてみたい気分でしたので、京都の高瀬川沿いを南北に走る木屋町通り(きやまちどおり)を散歩場所に選んでみました。
石畳が印象的なこの「木屋町通り」への散歩は久しぶりです。心地よい風を感じながら、二条から四条までぶらぶらと散歩してみると、以前とはまた違った様子が伺えました。京都にはたくさんの観光地がありますが、この通りには古き良きものと新しさが常に入り混じっているように感じます。
買い物をするにも、飲食を楽しむにもぴったりな界隈のため、若い頃はよく飲み歩いて散財したという、私にとってはほろ苦い記憶も残っている京都のまちでもあります。現在もオシャレなカフェや老舗の居酒屋、旅館、京料理屋、鍋料理、中華、イタリアン、フレンチ、バーなどグルメなら何でもありといった風。
思わず一杯飲みたくなりますが、過去の記憶を塗り替えるべく、本日はぶらり散歩で進んでいきます。
ちなみに、私が飲み歩いていた頃よりも以前の「木屋町通り」、その中でも三条~四条あたりは物騒なため、散歩道はおろか「絶対に近づかんとこ」と思っていたエリアでした。少し前の京都ですらそんな状態ですから、幕末の頃は相当物騒だったでしょうね、道幅も現在より狭かったでしょうし。
土佐藩邸や勤皇の志士たちの寓居址があちこちあるため、新選組などが頻繁に行き来していたことが分かります。この辺りを散歩される際は、注意深くあたりを観察しながら歩を進めてみることで、新しい発見があるでしょう。
そんな「木屋町通り」が発展したのは、京都が誇る豪商である「角倉了以」が、高瀬川を開削したことにあります。彼は私財を投じ開削をすすめるなど、京都の発展に大きく貢献した人物です。その後、この地は発展を遂げ「森鴎外」作「高瀬舟」の舞台にもなりました。
散歩の際には、高級料亭「幾松」を訪れてみるのも一興です。「幾松」は政府登録の国際観光旅館になっており、外国人観光客が多く訪れています。まちを散歩している外国人も多いですね。
「幾松」の名は、「桂小五郎(木戸孝允)」の夫人となった木戸松子が芸妓だった頃の名前に由来しています。彼女が暮らした「幾松の部屋」には、今でも「佐久間象山」「桂小五郎」「大村益次郎」の写真が掲げてあります。
局長近藤勇率いる新選組が御用改めで長州藩の控え屋敷へ踏み込んで来た際、「幾松」は「桂小五郎」を長持に隠し、急場凌いだという話も残っています。
今では「長持」が何か知らない方も多いかもしれませんね。
長持とは、写真にあるような、人ひとりがすっぽり入れるサイズの桐でできた衣装箱です。「幾松」は「桂小五郎」を隠すと、何食わぬ顔で三味線を弾いていたと言いますから、その器の大きさに関心するばかりです。
このように、ロマンスも歴史も、グルメもすべてが詰まっている「木屋町通り」、普段と一味違った京都まちなか散歩にも訪れてみて下さい。
参考URL
https://ja.kyoto.travel/search-keyword.php?keywords=%E5%B9%BE%E6%9D%BE