京都へ散歩にいらっしゃる観光客にお聞きすると、神社仏閣には時として読みづらい地名があり、検索で困ることが多いようです。これは、京都のまちに住む身にとっても例外ではありません。本日は、私が神社であることにも気づかなかった「蚕の社(かいこのやしろ」」へと散歩の足を向けてみます。
「蚕の社」は京都市右京区太秦にあります。太秦(うずまさ)もなかなか読みづらい地名ですが、「映画のまち」としてご存知の方も多いと思います。「蚕の社」だけでも難読なのですが、正式な名称は、「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」というとても長いものです。
通称は、「木嶋神社」ですが、この場合も「きじまじんじゃ」ではなく「このしまじんじゃ」となり、寺社の名前はなかなか難しいと感じます。
それでは早速、京都まちなか散歩を進めてまいりましょう。
散歩客をまず迎え入れてくれるのは、白木の鳥居。
和を感じさせる朱の鳥居も好きなのですが、白木にも趣きがあります。
この「太秦」という地は、かつて秦氏が勢力を有していた地域です。近くには「広隆寺(こうりゅうじ)」もあり、その縁が深いこともよく理解できます。推古天皇が創建し、聖徳太子が本尊である「広隆寺」には、多数の国宝や重要文化財が保存されていますので、美術に触れる京都まちなか散歩もおすすめです。
「新霊宝殿」には日本一美しいとも言われる弥勒菩薩半跏思惟像が収められており、京都へ訪れた散歩客をいつでも優しく見守ってくれています。
引き続き、散歩を続けるのですがここでひとつ。「蚕の社」の名前について仮説を立ててみました。京都がまだ平安京(平安京以前も含めて)の時代、右京は湿地帯で、都やまちとしての機能が徐々に廃れていくことになります。このことから考えるに、おそらく太秦一帯は稲作には適しておらず、養蚕業を行いながら発展していったのではないでしょうか。
さらに京都まちなか散歩の足を進めて行きますと「三柱鳥居(みはしとりい)」がありました。これは、京都御所内にある厳島神社の唐破風鳥居、北野天満宮内にある伴氏社の鳥居とともに京都三珍鳥居の一つとされています。
柱を三角形に組んだことで、どの方角からも拝むことができる斬新なデザインが印象的です。神社内のやや陰たる感じがする空間と、鳥居の幾何学的な形が何とも神秘的で、京都のパワースポットといわれる所以だと強く感じました。
最近元気が無いと感じている方や、新しいことにチャレンジしたい方は、是非散歩へと訪れてみて下さい。写真ではお伝えすることのできない、荘厳なオーラが漂っている場所でした。
本殿は明治以降に再建されたもの、本殿の東の方には「蚕養神社(こかいじんじゃ)」があります。本来はこの神社のことを「蚕の社」と呼ぶのですが、今では京都の人たちにも、観光客にも「木嶋神社」=「蚕の社」としてすっかり定着しています。
ぶらぶら散歩をしていると、ふと拝殿の提灯に記された、おそらく神紋だと思われるものが気になりました。最初は短絡的に「桑の葉かな?」と感じたのですが、どうも二葉の葵で以前京都まちなか散歩へ訪れた「上賀茂神社」の紋と同じのような気がします。
元々「三柱鳥居」は境内の北西にある「糺の池(ただすのいけ)」に建っていたとか。「下鴨神社」にある「糺の森(ただすのもり)」とも何か関係があるのかも……と、あれこれ考えながら本日の京都まちなか散歩を終え、帰路につくことにいたします。