目まぐるしく訪れた今年の春。のんびりと京都の四季を楽しみたい私を、待ってはくれません。そのため、4月も終わりに近づきましたが、まだ見逃してしまっている花も随分と残っています。本日は、今からでも追いつける京都の春を求めて、「寺町通」へぶらりんと散歩に出かけました。
「寺町通」を散歩していますと、その名の通り多くの寺院が立ち並んでいます。これには、秀吉の軍事的な政策が深く絡んでいるようです。
応仁の乱以降、京都のまちはすっかり荒廃してしまったのですが、「寺町通」、この地に市内の寺院を集めたのが秀吉です。敵の侵入を防ぐため、京都のまちを御土居で囲みました。「寺町通」のすぐ東側には鴨川が流れており、御土居は治水における防波堤としての役割も果しました。
それだけでなく、通り沿いに寺院を並ばせたのは、外敵から攻撃されにくい防御構造を作るため、つまり盾替わりの意味合いだったという説もあり興味深いです。
さて、このように興趣深い寺院の多い「寺町通」での散歩は心が華やぎます。どの寺院も風格があり、建物と調和した花の美しさが際立つようです。
かつての京都のまちの様相に頭を巡らせながら、散歩の足が到着しましたのは、日蓮宗本山の「本満寺」です。門をくぐってすぐの場所に、見事なしだれ桜があります。しかし昨年の散歩では時機失して、見ることができませんでした。
(※ご参考までに Adobe Stockより)
「今年こそ!」と意を決し、4月の上旬に散歩へ訪れたのですが、今年の春はどうも一枚上手で、すでに緑鮮やかな葉桜となっていました。
「来年こそ!」と心に誓っています。
本満寺は牡丹も美しいのですが、これも時機を見逃してしまいました。少しガッカリしましたが。
次に散歩へ訪れましたのは、織田信長公本廟所「浄土宗阿弥陀寺」です。
境内は、輝くような新緑で溢れていました。桜の木には小さなサクランボが実をつけておりました。
信長、信忠の本廟です。
本能寺の変後、清玉上人は信長の遺骸(遺灰?)を収容し阿弥陀寺にて墓を建て供養します。その後秀吉は、天下の権力者としての示威として信長の葬儀を行うに際し、上人に信長の遺骸の引き渡しを求めますが、上人は頑としてこれを断ります。仕方なく秀吉は大徳寺で大々的な葬儀を行い、香木にて2体の信長像を作り、1体を火葬します。後になって秀吉は寺町の手狭な地へ阿弥陀寺を追いやりますが、清玉上人に対する恨みというか執念深さが感じられます。
大徳寺総見院の墓とは全く印象が異なると感じました。近くには、森蘭丸の墓もありました。
さらに上に行くと、浄土宗西園寺と曹洞宗天寧寺があります。天寧寺額縁門の遠景には、絵画と化した比叡山が見えます。
さて、街並みを眺めながら散歩を進めますと、歴史深い「上御霊神社」へ着きました。こちらは、応仁の乱が勃発してから550年となるのを記念し、昨年2017年に建てられた石碑です。
嬉しいことに、可憐なイチハツの花が出迎えてくれました。イチハツは一初と書き、アヤメ科の中でも早咲きの品種です。「上御霊神社」の周囲を、上品な紫色で彩っていました。 ツツジのピンク色も、大変鮮やかで美しいです。
散歩の最後を花で締めることができ、満たされた気持ちです。やっと、京都の春に追いつけたでしょうか? いいえ、まだどこかに春が残っていると思いますので、また近いうちに京都まちなか散歩へ出かけることになるでしょう。