相国寺界隈から烏丸通を上がって、ぶらりと京都まちなか散歩に行ってまいりました。鞍馬口から住宅街を抜けた先に現れるのが「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」です。丸太町寺町下ルの「下御霊神社」に対して「上御霊神社」と呼ばれることが多いですね。
この神社は、京都だけでなく歴史好きな方にとって、とりわけ熱いスポットなのだとか。その秘密を少しずつ紐解きながら、厳かな境内へ足を踏み入れて行きます。
多くの人々を魅了する理由。それは何と言っても「戦国時代の幕開けとなった舞台だから」という点であると考えます。1467年、この地で勃発した応仁の乱を発端に、京都の地は長きにわたる乱世の始まりへと突入することとなりました。
室町幕府8代将軍「足利義政」の後継争いが、主たる起因ですが、細川勝元や山名宗全との争いなど、様々な権力争いが絡み合ったと考えられます。家督相続を巡った争いの末、畠山政長が立てこもったとされているのが、境内の「御霊の杜」です。
散歩の足を進めると、境内と門外付近には、応仁の乱に関する石碑が建っています。そのうち一つは、応仁の乱から550年を記念して、2017年に新設されました。
さらなる魅力を知るには、平安時代の京都まで遡ります。桓武天皇の弟である早良親王(諡は崇道天皇)は、藤原種継暗殺に関係していたとして、流罪に処せられてしまいます。
その途上で、親王は食を断ち、無念の死を遂げたわけですが、その後京都では、疫病や天災が続いたため、桓武天皇は「早良親王の怨霊に違いない」と考えました。そして794年の平安京遷都に合わせ、親王の鎮魂目的で「御霊神社」が創建されることになります。平安時代の京都では、怨霊と鎮魂が繰り返され、歴史の謎解きのキーワードとなるのではないでしょうか。
後の863年、早良親王と、そして同じく祀られた高貴な人物の霊を鎮めるべく始まったのが、春の風物詩「御霊祭」です。
この祭は、日本で最も古い祭事としても知られています。毎年5月1日から18日にかけて開催され、京都の春を賑やかに彩っています。
最終日18日に行われる「還幸祭」には、三基の神輿を始め太鼓や子どもたちが粉する若武者、獅子舞、煌びやかな剣鉾、後陽成天皇が寄進したといわれる牛車など、約500人の大行列が練り歩きます。この様子はまさに圧巻ですから、是非散歩へ訪れて頂き、その目で楽しんで頂きたいお祭りとなっています。
さて、昼過ぎにスタートした神輿は住宅街を通り抜け、御所を目指します。出町枡形商店街のアーケード内を通過する際、担ぎ手が威勢よく神輿を高く持ち上げるのですが、その勇ましい様も必見。神輿ごとに異なる掛け声にも注目してみて下さい。
御所に到着後、各神輿連はさらに盛り上がりを見せます。そして「上御霊神社」に戻ってくる頃には、辺りはすっかり薄暗くなっているでしょう。暗闇に染まる境内は、昼とは一味違った雰囲気を醸し出しています。この凛とした空気の中、担ぎ手そして観客の興奮が最高潮に達し、フィナーレを迎えるのです。
このように、見どころ満載の行列ですが、ちょっとした京都まちなか散歩気分で、ずっと後を追っていくのは大変です。祭をとことん楽しみたい方は、散歩も楽しむべく事前に行列のルートマップを手に入れておくのがおすすめです。期間中は数多くの出店が並びますので、散歩の所々で一息入れながら楽しむのが、私流となっています。
「上御霊神社」はイチハツの花で有名ですが、実は、紅葉の隠れた名所でもあります。そして、モミジが色づき、境内に銀杏の黄色い絨毯が敷き詰められる頃、京都の「あの味」が恋しくなるのです。
その名店を、ご紹介いたしましょう。神社から散歩の帰り道に西へ向かって烏丸通を渡ると、「畑かく」というレトロな佇まいの料理屋が見えてきます。ここでのお目当ては、なんといっても炭火の囲炉裏を囲んでの「ぼたん鍋」。
クセが強いといわれる猪鍋ですが、白味噌仕立てでいただくこの鍋は、意外にしつこくなく、むしろさっぱりしています。そして極め付きが、シメに出される雑炊。一度口にしたら最後、忘れることはできないでしょう。
参考URL
https://hatakaku.gorp.jp/
歴史好きな方や京都まちなか散歩に訪れる方に限らず、一年を通して、人々の心を惹きつけて止まない「上御霊神社」。 四季折々の表情を愛でながら、京都まちなか散歩の中にも激動の時代へ思いを馳せることができます。京都の数あるまちなか散歩道の中でも、優雅で贅沢な場所の一つですから、5月のお祭りの時期、そして紅葉と猪鍋の時期、二つの顔をまちなか散歩とともに是非覗いてみて下さい。
参考URL
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/