以前、京都のまちなかぶらりんとして「鷹峯界隈」へと足を運びましたが、その際にうっかり通り過ぎてしまったのが「光悦寺」のお向いにある「源光庵(げんこうあん)」でした。しばらくの時間が過ぎましたが、散歩へ行けなかったことへの後悔の念が募る一方ですので、本日の京都散歩先は一直線に「源光庵」といたします。
「源光庵」は、正式には「鷹峰山寶樹林源光庵」と呼びます。散歩を通じて是非拝見したいと思い続けておりました有名な「悟りの窓」「迷いの窓」は、京都を訪れる観光客からも人気のあるスポットとして知られています。静かで厳かな雰囲気に魅了される寺院ですので、期待でつい散歩の足が急いでしまいます。
「源光庵」へ京都まちなか散歩に行くためには千本通をずっと上り、北山通と別れるところを左にさらに上がります。こちらは曹洞宗の禅寺ですが、飾り気がない素朴な印象を受けました。創建時は臨済宗でしたが、卍山道白が再興した際に曹洞宗に改宗されたとのことです。
さて、いよいよ京都まちなか散歩の足が「源光庵」へ到着します。門前からは、美しい自然が目に飛び込んで参りました。ここは、京都で有名な紅葉スポットでもありますので、秋の京都まちなか散歩へ組み入れるのもおすすめです。紅葉に包まれるのではなく、あえて窓から観覧する赤い葉には、感慨深いものがあります。
それでは、本堂へ足を運びましょう。壁にあるのが「悟りの窓」「迷いの窓」です。射し入る陽光とのバランスで光と影、陰と陽が織りなす独特の空間だと感じました。
しばし窓と向き合ってみて、こんなことを感じました。
人はさまざまな迷いがあり、一歩足を踏み出して決断することはなかなか難しく、これまでの経験に対して後悔や懺悔を感じながら日々を暮らしていくことになりますが、悟りを得るということはとても難しいと考えてしまいます。私は、もがき苦しみはい上がろうとするよりも肩の力を抜いて運命にさからわず自然のままに進んでみようと考えることにしています。
もちろん、なかなかこれを実行することはできないのですが、悟りと迷いの中に身をおいていると、そんな未熟な部分も許されたような気になるから不思議です。
話が少し逸れてしまいましたが、紅葉の際は格段の風情ありとのことですので、錦秋の頃また参ろうと思います。
「悟りの窓」は丸く、円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現しているとのことです。「迷いの窓」は四角く、角型は「人間の生涯」を示し、生老病死の四苦八苦を表しているのだとか。
この仏教的な概念、眺めても眺めても難解です。
本堂内の天井は血天井で、伏見桃山城の遺構です。「正伝寺」でも拝見しました。かつての武将が自害した際に床へ流された血が染み込んだものなのだそうです。勝っても負けても多くの犠牲が生まれる時代、切なくもあり、日本人の誇り高さでもあり……ふうっと息を吐きながら心の中で手を合わせ、散歩を終えることにしましょう。
本日京都散歩先である鷹峯は、坂がきついことでも有名です。道中、とてもしんどいのですが、途中に御土居の址がありましたのでしばし休憩。この場所は、2015年ブラタモリでも撮影されていたことを記憶しています。
「ブラタモリ京都編」として放送されたのですが、秀吉と御土居について詳しく取り上げたこともあり、歴史や京都を愛する人たちにとってはたまらない回となりました。その後しばらくの間、御土居を求めて京都まちなか散歩へ訪れる方が多かったことも印象に残っています。
参考URL
https://ja.kyoto.travel/search-keyword.php?keywords=%E6%BA%90%E5%85%89%E5%BA%B5