室町時代から江戸時代にかけて京都と諸国を結ぶために設けられた街道の出入口がありました。これが「京の七口」です。秀吉の「御土居」築造により、この七口は概ね位置が固定化されたとのことです。
「京の七口」には「荒神口」「大原口」「鞍馬口」「鳥羽口」「丹波口」「東寺口」「粟田口」があります。口という表現は鎌倉時代からあったのですが、「御土居」に穴を開ける形で入り口を設置したことから、より口という表現が一般的になりました。
このように、当時は京都へ気軽に散歩へ訪れることができませんでしたし、京都の人たちも簡単に外へ出ることは難しかったのではないかと思われます。
本日は、「粟田口」へと足を伸ばし「粟田神社(あわたじんじゃ)」とその周辺を、京都まちなか散歩してみることにいたします。
京都のまちと諸国を結ぶために設けられた街道の出入口である「京の七口」。粟田口もその一つで「東海道」「東山道」「北陸道」の出入口で軍事的にも要衝の地と言えます。「粟田神社」はこの「粟田口」に鎮座し、古くから旅立ちの守護の神として崇敬を集めて来た神社でもあります。
鳥居をくぐり高台へと散歩の足を進めて行くと、それだけで気持ちが高まります。以前より、静かな京都まちなか散歩を求める方におすすめしていたのですが、近年日本刀を男性に擬人化した「刀剣乱舞」というゲームが女性の間で流行っているようで、「粟田神社」にも女性観光客が多く訪れるようになりました。
個人的にはひっそりとした佇まいが好みなのですが、観光客が増えるのは歓迎のようで、キャラクターパネルが設置されたり、イベントが行われたりもしているようです。とはいえ、このようなブームは一過性のもの。女性たちの心に「粟田神社」の良さを残しながら、再び静かな風景を取り戻していくのでありましょう。
さて、階段を登り切りますと、平成21年にお屋根替えが行われた拝殿が、美しい姿で散歩客を出迎えてくれます。秋にご本殿前にある楓の木が見事な紅葉を見せてくれますよ。眺望が良いことでも有名です。天気の良い日の京都まちなか散歩なら、比叡山や愛宕山などを見渡すことも可能です。
「粟田神社」の澄んだ空気を堪能した後は、京都まちなか散歩の足を下りへ向けていきましょう。「三条通」に出ますと西に三条大橋、東に行けば蹴上から山科、さらに大津へと通じていきます。その途中には「逢坂の関(おうさかのせき)」があります。
ここで思い出したのが百人一首の「蝉丸」という坊さんです。盲目の琵琶法師という説など諸説ありますが、子どもの頃「坊主めくり」をしていて、蝉丸が出ると、「この人は坊さんやから今までめくって溜まってる札は全部取り上げや!」、「なんやそれ!」と思った記憶が残っています。40代以上の方なら、同じような経験があるのではないでしょうか?
「これやこの ゆくも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂(逢坂)の関」
私は「蝉丸」のこの歌を見た際、人生会離のはかなさや無常といった場面を詠んでいるのではと感じました。出会いと別れは今日も重ねていくのだという意図(少し演歌的でしょうか?)もあるのではと思っています。事実、京都まちなか散歩で様々な人と触れる度、似たような気持ちが生まれるのです。
散歩の道中、琵琶湖疎水を歩いたのですが、関西電力「夷川発電所(えびすがわはつでんしょ)」がありました。こちらでは、現在も水力発電を続けられています。散歩の途中に眺めるのにちょうど良い、風情がある場所ですので、京都の水辺を散策をされたい方は訪れてみてはいかがでしょうか?
参考URL
https://awatajinja.jp